魔法少女りくたん 〜第一話〜


「あれ…ここは…?」
 少女は、いつの間にか自分が薄暗い部屋の中にいることに気が付いた。
「くちんっ」
 どうにも埃っぽい。空気を入れ替える必要を覚えるが、その前にここがどこなのかを確認しなくてはならないだろう。
 ぐるりと見回した結果、どうやら薄暗いのは明かりが裸電球しかなく、窓らしきものが見当たらない為のようであった。いや、もしかしたらあるのかもしれないが、本棚が部屋の壁に張り付くようにそびえ立ち、天井まで届いているせいで、窓の有無を確認することができない。
 振り返ると、縦に細長く光の筋が見えた。部屋の入り口の扉がほんの少しだけ開いているようだ。閉じ込められているわけではないと判り、安堵の息をつく。
 少し目が慣れてきたらしく、大まかには何が置かれているのかは判るようになって来た。
 本棚は本をその体内に納めるために生まれてきたのであり、ここにいる本棚達にも当然その役目が与えられているとみていいだろう。
 背丈とカバーの色の揃わない本達が、整頓されるわけでもなく、ただ並んでいる。なんだか本の主の性格を表しているようにも思われる。これらの本はみな『彼』の持ち物なのだろうか。本に積もった埃が、いかに彼らが長い間眠ったままになっているかを物語っている。
 たまたま目にとまった一冊の本を手にとってみる。タイトルは『西洋服飾史辞典』。きっとタイトルだけで購入してはみたものの、おそらく開いた回数は片手で数えられる程度なのであろうと思うと苦笑を禁じえない。
「ということは…やっぱりここはお屋敷の中なんだね」
 誰に対して言うわけでもなく呟く。
「御主人様の書斎かな?」
 彼女の名は莉来。『彼』とは莉来の主人であり、彼女はその主人に仕えるメイドという立場である。
 まだ幼くはあるが将来が楽しみな顔立ちをしている。瞳は大きくてブルーがかっており、もしかしたら外国の血が混じっているのかもしれない。ややたれ気味ではあるがしっかりとした意志の力を感じさせるその瞳とは一見不釣合いな黒縁の眼鏡をかけており、そのアンバランスさがかえって彼女の魅力を引き立たせていた。
 年の頃は十代前半といったところだろうか。十歳というには大人びているし、十五歳というには幼すぎる。尤も外見だけの話なので、本当のところはわからないとしか言いようがない。小柄で細身だが脆弱さはなく、その紺色のメイド服から伸びた手足はすらりとしなやかで、小生意気な猫を連想させる。肩よりもやや短く切られた栗色の髪は癖っ毛なのか外に広がり気味であった。
「でも、お屋敷の中にこんな部屋、あったかな…?」
 莉来がこの屋敷の主に仕えるようになってから一年近くが経とうとしている。最初は無闇に広い屋敷の間取りにとまどったりもしたものだが、今では彼女の主が必死に隠そうとしているイケナイ物のありかまでもを熟知するほどになっている。主人が隠し場所がバレているとは露とも知らないのは、言わぬが花という言葉を莉来が知っているからだ。よくできたメイドと言うべきだろう。
 話が逸れてしまったが、つまり莉来にとって知らない部屋などというものはありえないと言っても過言ではないはずなのだ。
 ここでよくある話ならば、この部屋の中を捜索して『開けてはいけなかった箱』や『開いてはいけなかった本』を開いたり、或いは『さも何かが封印されていそうな壺』を割ってしまってみたり、果ては『槍が刺さっていて身動きがとれなくなっている化け物』を発見したりするものだが、莉来は余計なものには目もくれずに外への扉を押し開けた。そう、莉来にとってはここが何処かを確かめることこそが最優先事項なのだ。
「──!」
 眩しさのあまり手で廂をつくり、目を細める。
 次第に明るさに慣れた時、最初に目に飛び込んできたのは鮮やかな緑色だった。莉来の周りには背の高い木々が生えており、木漏れ日が地面に斑模様を作っている。屋敷の中の一室だと思っていたのが、実はそうではなく、部屋自体が一つの建物だったということか。
「なるほど、どうりで…」
 見覚えのない部屋だったわけである。煉瓦造りのその建物の外観に飾り気はなく、まるで蔵や倉庫といった佇まいを見せている。裏手に回り、建物を背にして辺りを見渡すと、ちょうど正面の木々の隙間から見慣れた屋敷が見えた。この木々のせいで今まで屋敷からこの建物を見つけられずにいたに違いあるまい。
 そうと判れば屋敷に戻らないと。屋敷には莉来を含めて三人のメイドがいるが、毎日それぞれに役割を分担して働いていた。今日は食事当番だ。買出しに早めに行かないと、料理の手際はあまりいい方ではないから晩御飯が遅くなってしまう。
「お掃除とかお洗濯なら得意なんだけどな」
 また誰に対してでもなく呟く。
「さ、急がないと」
 屋敷に向かって走り出そうとしたその時、裸電球の明かりが灯ったままだったことを思い出した。自分で点けたのかどうかは覚えていないが、点けっぱなしであるのはどうにも気分が悪い。
 どうやってこの場所に辿り着いたのかを覚えていないのも気になったが、今はそのようなことを気にしている時間も惜しい。
「ひょっとして、最近疲れてるのかなぁ…」
 莉来以外の二人のメイドがいがみ合っている光景が目に浮かぶ。二人を仲裁するのはいつも莉来の役目だ。けっこう気疲れがあるのかもしれない。そんなことを考えながら再び扉を開ける。と──
「よ、良かったでプ。もう来てくれないかと思ったでプー!!!!」
 黄色くてフワフワした、風船のようなぬいぐるみが叫びながら莉来の目の前に現れた。
 …え? 叫びながら??
「なんでもっとよく探さないでプか、普通気になっていろいろ探すもんでプ、ヒロイン失格でプよ!」
 喋るぬいぐるみという非常識な存在に一方的にヒロイン失格の烙印を押されてしまった莉来は、大きな瞳を更に大きく見開き、
「…………」
 人間、驚くと何も言葉にできないようだ。

 かちゃり。
「…ふぅ」
 ぱたん。
「おかえりでプ〜」
「うぁ、やっぱり夢じゃなかったんだ…」
 目の前でふわふわと浮かんでいる『それ』に頭を抱える。
「何言ってるでプ、今ここにある現実こそが全てでプ」
 謎のぬいぐるみと接近遭遇した莉来は、なんとかその事実を飲み込んだことにして──この間にはいろいろと心の葛藤があったようだが──まずはこの事実を誰かに相談することにした。
 しかしぬいぐるみに「設定上それはまずいからやめてくれでプ」と懇願され、なんだかわからないが『設定』という言葉の持つ魔力に負けて仕方なく自分の部屋にかくまうことにしたのであった。
 それから大急ぎで買出しに行き、なんとか料理も夕食の時間に間に合わせ、楽しみにしていたデザートもそこそこに自分の部屋に戻ってきたのだ。
 部屋の中はいたってシンプルで、家具も必要最小限にまとめられている。部屋からは女の子らしさはあまり感じられない。ぬいぐるみでもあれば別なのだろうが。…いや、ぬいぐるみ『っぽい』謎の生物ならばいるのだが。
「ちゃんとおとなしくしてたの?」
「動かざること山のようだったでプ」
 ぬいぐるみが胸を張る。尤も、まん丸なボディにつぶらな目と大きな口が張り付いていて、手足らしき突起が4箇所から突き出ているような見た目では、何処が胸なのかは判らないが。
 いや、長くて細い尻尾をぶら下げ、ふわふわと浮いているのだからぬいぐるみというよりはやっぱり風船だろうか。どちらにしても胸が何処なのかはわからない。
 と、莉来がその風船に尋ねる。
「へぇ〜、じゃあその頭に被っているものはなんなわけ?」
 黄色かった風船が、さっと青くなる。
「こ、これは…その…防寒対策でプ」
 どこを見ているのか定かでない目が、明らかに視線を逸らす。
「へぇ〜、そぉ…」
 莉来の声と視線から温度が失われてゆく。それとともに、部屋の温度さえ下がったような錯覚に捕われる。
「そ…そうでプ」
「…それが、ひとのパンツを被ってることに対する言い訳なわけね」
 きらり。
「そ、その手に持ってる針はなんでプか」
 風船がふわ、と後ずさる。
「…いや、パァンとね、ならないかなと思って」
 じりっ。莉来が間合いを詰める。
「は、話せばわかるでプ」
 ふわ。風船が後ずさる。
「問答無用。このエロ風船め」
 じりっ。
「ひぃぃぃでプ〜」
 もう後が無い。
 この物語もここで終わってしまうのか、と思われたその時、
 こんこん。
「莉来ちゃん、起きてる?」
「「はひぃっ!?」」
 ドアがノックされる音に、いつもの莉来らしからぬ素っ頓狂な声を上げてしまう。生命の危機に瀕していた風船ならばなおのことだ。
「ちょちょ、ちょっと待ってね。今開けるから」
 風船をひっつかまえ、ベッドと床の間に押し込む。
「く、苦しいでプ…」
「ちょっとの間くらい我慢しなさい! 見つかりたいの!?」
 小声で怒鳴り、慌てて部屋の中を見渡し、おかしなところがないかを急いで確認する。散らばっていたパンツをかき集めて箪笥にしまう。よし、これで大丈夫。
 かちゃり。
 平静を装ってドアを開く。
 そこに立っていたのは、莉来と同じようなメイド服に身を包んだ二人の少女だった。二人とも莉来よりは年上のようである。
「ん、どうしたの琉奈っちも碧っちも?」
「どうしたのって…莉来ちゃんデザートの芋羊羹を残してたじゃない。だから、ひょっとしたら具合でも悪いんじゃないかと思って…」
 そう答えたのはこの屋敷のメイドの一人、琉奈である。背丈は莉来よりも頭半分程高く、美しいというよりは可愛らしいと言うほうがふさわしいであろう顔立ちをしている。シルバーのメタルフレームの眼鏡が良く似合っていて、レンズの向こう側の瞳はグリーンの光をたたえていた。艶やかな髪は腰まであり、ふっくらと健康的な体つきであるが、残念なことにその栄養は胸にだけは行っていないようだ。
「なんですってぇ〜」
 な、なんでもないです。
 ちなみに芋羊羹は莉来の大好物だ。それを残すとなると、実はかなり重大な問題だったりする。
「莉来さんはご自分に何かあってもわたくし達にはあまりおっしゃってくださらないんですもの、それでわたくしも琉奈さんも気になってしまいまして」
 上品な言葉遣いの、こちらが碧である。吊り目がちなブラウンの瞳には、意志の強さと慈愛の心が見てとれた。そしてまるで、その強い意志の力を黒く細いフレームの眼鏡が優しく包み込んでいるように見える。きつい印象を与えるはずの吊り目がそうとは感じさせないのは、この眼鏡のせいだろうか。短めにセットされた髪はさらさらと手触りが良さそうだ。琉奈よりも更に頭半分高い長身で、その均整のとれた見事なプロポーションはメイド服の上からでも良くわかる。たゆん、という効果音が聞こえてきそうなゴージャスな胸にはいったい何が詰まっているのだろうか。
「失敬な、ピチピチの天然物ですわよ」
 地の文に話しかけないでいただきたい。
「二人とも誰と話してるの?」
 莉来が怪訝そうな表情で二人を見る。
「そんなことはどうでもいいのよ。莉来ちゃん、もしかしてお腹が痛いとか?」
 琉奈が莉来の顔を覗き込む。琉奈の顔が間近に来たせいで、莉来の顔が少し赤くなる。
「な、なんともないよ。ちょっとダイエットしようかと思って」
 うまい言い訳が思いつかなかった。次の二人の言葉は分かりきっている。
「ダイエット? いけませんわよ。あなたはまだまだ育ち盛りなんですから。変にダイエットなんかしたら、どこかの誰かさんのように出るところも出なくなってしまいますわよ」
 ちらり、と隣の人物を見て碧がそう言うと、
「わ、わたしだって莉来ちゃんと同じでこれから大きくなるんですっ!」
 予想通り琉奈が噛み付く。
「それはどうかしらねぇ。望みは薄いのではありませんこと?」
 すかさず碧が切り返す。
「うきーっ、大きさよりも形なんですよ! ただ大きいだけの碧さんに言われたくありません!」
 むきになって琉奈がやり返す。
「だっ、誰が大きいだけですって!? わたくしのは形も大きさも感度も良好ですわよ!」
 とたんに碧も平静さを失って、とんでもないことまで口走っている。
「はぁ〜、胃が痛くなるとしたら二人のせいだよ…いつもこうなんだから」
 呆れたように呟く莉来。
「あ、ご、ごめんなさい」
「わたくしとしましたことが…」
 これがいつものパターンだ。二人の喧嘩を莉来が仲裁する。御主人様も黙ってないで注意すればいいのに、と莉来は思うのだが、二人のやりとりが楽しいらしく特に咎めることもしないのが困りものである。まぁ、二人とも本当に仲が悪いわけではないのを知っているからなのだろう。
「とにかく、体は至って元気です。ご飯も残さず食べます。これでいい?」
「え、ええ…」
「そういうことでしたら…」
 莉来の言葉に琉奈と碧が同意する。迫力に押されたのかもしれない。
「それじゃあ、あたし今日は疲れちゃったから早く寝るね。おやすみ、琉奈っち碧っち」
 莉来にそう言われてしまっては、おとなしく引き下がるほかはない。
「うん、おやすみ莉来ちゃん」
「暖かくして寝るのですわよ」
 ぱたん。
 二人が出ていき、足音が遠ざかるのを確認してから、莉来はベッドの下から風船を引っ張り出した。
「し、死ぬかと思ったでプ…」
「このくらいでなに言ってんの。それともさっきの続きをしてあげようか?」
 気がつけば、莉来は先ほどの針をそのまま手に持っていた。針を片手に二人と話をしていたらしい。平静を装ってはいたが、実のところかなり焦っていたのかもしれない。
「結構でプ」
 即答。
「ふぅ…まぁいいわ。おしおきは明日にとっておくから、あたしにとって必要な情報を教えて。まずは…そうね、あなたの名前をまだ聞いてなかったね」
「プ…プカーでプ」
 明日という日に一抹の不安を抱きつつ、答えるプカーであった。

 プカーの話を要約すると、こういうことであった。
 この世界にはいくつもの並列する宇宙があり、地球もいくつも存在する。プカーはそのうちの一つからやってきたらしい。
 プカーの地球にも生命が存在し、人間も存在する。こちらの地球と同じく国がある。国境があり、民族があり、戦争もある。ただ、こちらの世界とそちらの世界ではいくつか異なる点が存在し、その一つにこちらの世界で分かり易く言うところの『魔法』があるのだそうだ。
 そして、これまた分かり易い言葉で表現すれば『悪い魔法使い』が魔法を使ってこちらの世界にやって来ており、更に分かり易い言葉で表現すれば『世界征服』を目論んでいるというのだ。が、何故悪い魔法使いがこの世界を選んだかはプカーにも解らないという。
 ともかく、プカーの主人であるそちらの世界の、やっぱり分かり易い言葉で表現するところの『えらい人』がプカーを生み出し、『魔力』を授け、こちらの世界を守るために派遣したというのだ。
 ただ、プカーはこちらの世界で直接魔法を行使することは出来ない。なんでも『世界のバランス』が崩れてしまうそうで、直接こちらの世界に干渉することは禁止されているのだ。プカーが莉来以外の人間との接触を拒否したのも、不必要な干渉を避けるためだ。ちなみに悪い魔法使いは『悪い』のだからして、そんなことはおかまいなしなのだそうである。
 直接手を下せないプカーの代わりに、こちらの世界の住人と必要最小限の接触をし、プカーの持っている魔力をいくらか与え、悪い魔法使いと対決してもらう。そして、プカーと『波長』が合い、魔力を分け与える資格を持つものとして莉来が選ばれた、とまぁこういうことらしいのだ。莉来が知らず知らずのうちに例の倉庫に引き寄せられたのも、莉来以外との接触を避けるためにプカーが引き寄せたからであった。その割にはあやうく見つけてもらえなくなりそうだったりと、少々間の抜けた話である。
「ふぅん、なるほどねぇ」
 莉来が訝しげな表情になる。その表情を見てプカーは不安げに訊ねる。
「わかってくれたでプか?」
「…だいたいね」
 それを聞いたプカーは、ほっと胸を撫で下ろす。胸がどの辺りなのかは相変わらず判らないが。
「それは良かったでプ。それじゃあ早速魔力の引渡しを…」
「いや」
 一言で拒否の意を表されてしまった。
「な、なんででプか。いまわかったって──」
「言ったけど、それとこれとは別。だいたいプカーの言葉を全部信用してるわけじゃないんだからね」
 プカーの言葉を奪い、胸の前で腕を組む。
「そ、そんなご無体な。莉来さま〜」
 いつの間にか主従関係が出来上がっている。
「それに、波長が合えばあたしじゃなくてもいいんでしょ?」
「それはそうでプが…」
「じゃあ他を当たって」
 取りつく島もない。しかしプカーもここで引き下がるわけにはいかない。
「それは無理でプ」
「どうして?他に波長が合う人がいないってことはないんでしょ?」
「いることにはいるんでプが…無理でプ」
「むー。だからどうしてよ」
「眼鏡美少女の適格者が他にいないからでプ」
「……」
 一瞬の静寂。
「は?」
 莉来の聞き間違いでなければ、
「だから、眼鏡美少女の適格者が他にいないからでプ」
 プカーは、確かにそう言った。
「…あの、言ってる意味がよくわかんないんだけど」
「そのまんまの意味でプよ。魔法オヤジなんて聞いたことがないでプ。魔法といえば美少女が基本でプ。更に眼鏡装着で完璧でプ!」
「………」
 眉間を押さえてうなだれる莉来。と、そのとき。
「り、莉来さんが風船さんと喋ってる…」
 窓のほうから震える声がした。びくりとなって一人と一匹(?)がそちらに振り向くと、一人の少女がバルコニーからこちらを見つめていた。
「…凛お姉ちゃん…」
 更にがっくりと肩を落とす莉来であった。一方のプカーは、
「あぁ〜、関係者以外に見られてしまったでプ、査定に響くでプ〜」
 とうろたえていた。
「査定って、サラリーマンじゃないんだから…」
 この期に及んでしっかりとツッコミを忘れない莉来なのだった。

「なるほど、つまり莉来さんが地球の未来にご奉仕するニャンなわけですね」
「…凛お姉ちゃん、なんなのその譬えは…」
 先ほどから肩を落としまくりの莉来が少女に力なくツッコむ。
 少女の名は凛。莉来が働いているこの屋敷とは別の屋敷で働いているメイドのはずなのだが、いつの頃からかこの屋敷に遊びに来るようになり、莉来になついてしまっていた。
 なつくといっても凛は莉来よりも年上である。頭の上の二つのお団子がチャームポイントの、涼しげな雰囲気の女の子だ。ちょうど琉奈と同い年で、背丈は琉奈よりも少し高いくらいである。十分に発育した(特に胸などは育ち過ぎではないだろうか)凛が莉来にじゃれつく様は、さながら中型犬が気紛れな子猫について回っているようである。
 本来は別の屋敷で働く身とあって、莉来のそれとは異なるデザインのメイド服を身に着けている。が、主人同士で親交があるということはお互いの嗜好が合っているということなのだろう、凛もまた眼鏡が良く似合っている。
 眼鏡のせいかどうかは分からないが、莉来の主人は凛を気に入っているようだった。
 また凛の主人も三人のメイド、特に莉来を気に入っていたため、メイド達は特にお咎めもなく屋敷を行き来することができたのだった。
 さて、その凛が何故バルコニーから一人と一匹のやりとりを目撃してしまったかというと、莉来の声が聞きたくなった凛が屋敷に電話をかけ、その電話を受けた琉奈が『どうも莉来の様子がおかしい』と喋らなくてもいいことまで喋ってしまったせいで、いてもたってもいられなくなった凛は屋敷に向かい、屋敷の外から莉来の部屋の明かりが点いているのを見たとたん、またまたいてもたってもいられなくなり、思わずバルコニーからお邪魔してしまった、ということらしい。素直に玄関から入れ、と言われそうではあるが、まぁ恋するエネルギーは時に不条理、ということであろうか。ちなみに莉来の部屋は二階なのだが、そこはあえて触れないでおくことにしよう。
 今は混乱していた凛にプカーが事情を説明し、漸く落ち着いたところである。
「お話は分かりました。莉来さん、協力してさしあげたらよろしいではありませんか」
「絶っっっっっ対に、や」
 ためを作って莉来が拒否する。
「ええ〜、魔法が使えるなんて素敵じゃありませんか。考えたことはありませんか? もしも魔法が使えたらって」
「一切なし」
「そんな即答しなくても…くすん」
 どうやら莉来も意地になっているようだ。
「私はありますよ。もしも魔法が使えたら、莉来さんに…」
 そこまで口にした凛であったが、はっとして下を向いてしまう。
「あたしに…なに?」
「な、なんでもありません…もじもじ」
 顔を赤くして両手の人差し指をつんつんと合わせる凛。いったいどんな想像をしているのやら。
「………」
 そんな凛をジト目で見る莉来。
「あのー、そろそろ結論は出たでプか?」
 プカーとしては凛にも説得してもらうつもりで本当のことを話したのだが、どうにも進展がないようだ。
「結論は決まってるの。絶対にやりません!」
 莉来は断固として首を縦に振らないようである。
「…しょうがないでプ、この手段だけは使いたくなかったんでプが…」
 凛のほうに向き直り、キッと睨み付ける。いや、のほほんとした表情は変わっていないのだが。おそらく睨み付けているのだろう。
「この子がどうなってもいいでプか?」
「え、私ですか?」
 当の凛も突然のことにきょとんとしている。が、暫く自分の頤に指を当て考える素振りをしてから、
「助けてください莉来さん! このままだと私、この非常識生命体に何をされるかわかりません!」
「ひ、非常識生命体とはどういった意味でプか! もう許さないでプよ!!」
 非常に切迫した台詞に聞こえるが、当の凛はなんだか楽しそうである。プカーにその気がないのをなんとなく感じ取って、このお芝居に乗っかろうと考えたようだ。ただ双方の演技は大根もいいとこなので当然、
「………」
 またもや莉来はジト目となる。
「うぅぅ、こうなったら、…がおーでプ〜」
 プカーが凛に襲いかかる。というか胸に飛び込む。
「あははははっ、もう、やめてください〜」
 胸にうずまりじたばたもがくプカーと、涙を流してくすぐったがる凛。
 と、しばらくその光景が続いた後、
「あ…あん…ん…やめて…くださいぃ…」
 凛の表情が艶っぽくなってくる。吐息に甘いものが混ざり始め、色っぽい声を洩らす。
「いや、あん…そ、そこは…ぁ…」
 頬が紅潮し、薄紫の瞳が潤みだす。息遣いが荒い。
「だ、だめ…それ以上されたら、私、私…ぁ…はぁ…ん」
 ぐわしゃーん!
「は、はれ?」
 凛が気づいたときには、今までに見たこともないほど目を吊り上げた莉来が『10t』と書かれた巨大なハンマーを振り下ろした後だった。部屋の床にハンマーがめり込み、黄色い物体がハンマーからしっぽだけを覗かせぴくぴくとうごめいていた。
「あわわわわ、プ、プカーさぁん!?」
 凛があわてて黄色い物体であったはずのものの名前を呼ぶ。
「あーびっくりしたでプ」
 ハンマーの隙間からにゅるっと姿を現すプカー。吉本新喜劇ばりに凛がずっこける。
「な、何はともあれ、無事で安心しました。莉来さん、そのハンマーは魔法で出されたのですか?」
「そんなわけないでしょ!調子に乗ってるんじゃないわよプカー! 凛お姉ちゃんもなんで嫌がらないの!?」
 ここまで感情を露わにする莉来は珍しかった。もう一度ハンマーを振り上げ、狙いを定めんとする。
「ちょちょちょっと落ち着いてください莉来さん。私は平気ですから!」
 慌てて莉来を止めんとする凛。しかし心の中では莉来が自分のことを気にかけてくれていたのだと解り、甘い気持ちでいっぱいだった。
「問答無用!でぇぇぇぇい!」
「ひぇぇでプ〜」
「ああんもう、落ち着いてくださいぃ〜」
 夜中だというのになんと騒がしいことか。

 一方その頃。
 部屋を一歩出ると、喧騒も嘘のように静かである。
 この屋敷は防音対策が十分過ぎるほど施されていた。主人の方針らしいのだが、いったい何が目的なのかは謎である。ともあれ防音設備のおかげで、莉来の部屋がいくらうるさかろうが同居人の安眠を妨げることはない。
 莉来の部屋から右隣、空き部屋を挟んだもう一つの部屋。一つのベッドにシーツでできた二つの山。それらの山は柔らかい曲線を描いていた。小さい山と、それよりも少し大きい山。それぞれがそれぞれのリズムで規則正しく、ゆっくりと上下している。
 大きい方の山は琉奈だった。シーツにくるまり、幸せそうな寝息を小さくたてている。
 そしてもう一つやや小さい方の山からは小さな頭がちょこんと飛び出している。こちらも少女であった。先程から少女とぬいぐるみしか登場していないような気がするが、どうか勘弁していただきたい。
 少女は、名をれつ子といった。彼女もまた、ある主人に仕えるメイドである。
 主人同士が友人であるという縁かられつ子と琉奈は知り合い、意気投合し、今では姉妹のような、否、まるで恋人同士のような仲であった。今日は琉奈たちの屋敷での夕食が済んでしばらくしてから主人とともにこの屋敷を訪れ、主人ともども泊まることになった。
 実は凛の主人も凛を追いかけてこの屋敷にやって来ており、「そういうことなら」と碧にお酌をされつつ主人三人で酒を酌み交わしている。最後まで起きているのは碧一人であろうことは疑いないが。
 よってれつ子と琉奈は、お互いの主人に干渉されることなく二人の時間を共有できていた。何ものにも換えがたい、貴重な時間だ。
 と、小さい方の山がもぞもぞと動いた。ベッドから起き上がり、フレームレスの丸い大きな眼鏡をかける。淡いピンク色のパジャマがよく似合う、可愛らしい顔立ちだ。髪は肩で綺麗に切り揃えられている。
 肉付きの良い、健康的な体つきであった。年齢は莉来と琉奈の間といったところか。パジャマを押し上げている二つの胸のふくらみは、年不相応なまでに豊かであった。
 れつ子は、頼りない足取りでベッドから離れる。目の焦点が定まっていない。何かおかしい。寝ぼけているのとも違うようだ。
 部屋の窓に近づく。莉来の部屋と構造は同じなので、大きな窓を開け放てばすぐそこはバルコニーである。窓を開けると涼気を含んだ夜風が吹き込んできた。
 裸足のままバルコニーに出ると、大きな満月がれつ子を皓く照らす出す。月の向こうから何かに呼ばれているような気がして、れつ子は顔を上げた。
 月が翳る。
 夜風に流された雲が月をよぎり、すぐにまた流されてゆく。そして──
 れつ子の姿が、そこからかき消えていた。カーテンが風にあおられぱたぱたと音をたてていたが、自然と窓は閉じていき、いつしか琉奈の部屋からは彼女の静かな寝息しか聞こえなくなっていた。

 再び莉来の部屋。
「むっ!?」
 ハンマーを振り上げた莉来との鬼ごっこの真っ最中であったプカーが、突然動きを止めた。
「そこっ!」
 当然そのスキを莉来が見逃すわけもなく、10tハンマーを振り下ろす。だが。
 ぐぅんっ。
 そのハンマーはプカーに届くことはなく、押し戻された。
「えっ!?」
 驚く莉来。まるで見えない力が働いたようだ。そう、まるでそれは魔法のような──
「大変でプ、『奴』が現れたでプ!」
 突然シリアスモードに入るプカー。これが本当の彼なのだろうか。
「え、『奴』ってまさか…」
 突然のことに驚きを隠せない凛。
 ただごとではない空気を感じ取り、莉来もハンマーを下ろす。
「例の悪い魔法使いが現れたっていうの?」
「『奴』の波動を感じるでプ!『飛ぶ』でプよ!」
「飛ぶってどういう──」
 莉来の言葉が途中で聞こえなくなった。突然、莉来の部屋に静寂が訪れる。
 次の瞬間、二人と一匹の姿は忽然と掻き消えていた。

「──こと? …わわっ、どこよここ!?」
 いつの間にか二人と一匹は満月の見える場所にいた。夜風が頬を撫でる。『飛ぶ』とはこういうことだったらしい。
 黒く巨大な立方体が何本もそびえ立っている。どうやらビル街のようだ。莉来たちはビルの屋上に飛んできたのだった。
「ここに、悪い魔法使いさんがいらっしゃるのですか?」
「『奴』の魔力をここから感じたでプ」
 いやに丁寧な口調の凛の質問にプカーが答える。
「…うん、プカーの言ってることに間違いはないんだろうね」
 重い口調の莉来が満月の出ている方向を指差す。
「あ、あれは…なんですか?」
「…プカーにもわからないでプ」
 莉来の指差す方向を向いた凛とプカーは、その光景に圧倒された。
 見たまま言えば、巨大な植物の枝がビルの内側から外へ突き出している。その枝はうねうねと蠢き、ばきばきと周りのビルをも貫いている。見ているだけで植物が大きくなっていく過程がわかるということは、きっとものすごい成長速度なのだろう。このままだと、ひょっとしたらこの一帯が植物に占拠されてしまうかもしれない。
「どどどどどうしましょう、プカーさんっ」
「と、とりあえず逃げないとダメなんじゃないでプか?」
 さっきの格好良さもどこへやら、凛とともにわたわたと慌てるプカー。
「プカー!あたしに魔力をちょうだい!」
 はっきりとよく通る声が、一人と一匹の動きをぴたりと止めた。
「…へ、今なんて…」
「もう一度しか言わないよ。あたしに魔力をちょうだい」
 莉来の大きな瞳には、決意の光が輝いていた。
「…あ、ありがとうでプ!!」
 大喜びのプカー。一方の凛はと言えば、
「…かっこいい…」
 まるで恋する乙女のように、うっとりとした目で莉来を見つめていた。いや、「まるで」ではなく「本当に」恋する乙女なのだろう。
「それではさっそく魔力引渡しの儀式を行うでプ」
「手短にね」
「言われるまでもないでプ。ではまずプカーをぎゅっ♪てするでプ」
「………」
 このうえなくジト目になる莉来。
「ほ、本当に必要なことなんでプよ! 触れ合って直接魔力を移すんでプ!」
 冷や汗をかきながら弁解するプカー。
「…あーもう手短にね!」
 本当は納得していないのかもしれないが、仕方なくプカーを抱き寄せる莉来。
「おぉ、意外とやわらかいでプね」
「て・み・じ・か・に・ね…」
 ぎゅううぅぅ。
「ら、ラジャーでプ…」
 莉来にベアハッグを食らいつつ体を変形させながら、プカーの体が白く発光してゆく。
 ぽぉぉぉぉぉぉ…
 莉来の体内に暖かい光が流れ込んでくる。莉来は太陽が入ってくるようだと感じた。このまま眠りにつきたくなるようなぽかぽかとした心地よさ。
「契約完了でプ」
 唐突に、現実に戻される。
「なんでそんな事務的な言葉を使うかなぁ」
「じゃあ、契りは結ばれたでプ」
「…ごめん、前者でいいや」
 余計なことを言うんじゃなかったと思いつつ、腕の力を弱める莉来。自分の手の平や背中を見てみるが、外見的に特に変わったところはないように思われる。
「今まで通りのかわいい莉来さんですよ」
 莉来の内心を汲み取った凛が声をかける。
「ん…」
 曖昧な返事をする。面と向かって「かわいい」なんて言われると、やっぱりちょっと恥ずかしい。
「これでもう魔法が使えるようになったの?」
 話をすりかえるように、莉来がプカーに質問を投げかける。
「うんにゃ、魔法少女につきもののアレが必要でプ!」
「…アレって、まさか…」
「変身ですかっ!?」
 何故か凛が身を乗り出す。
「その通りでプ!」
「はわわぁ〜、夢のようですぅ〜」
 凛のスイッチが変な方向に入ってしまったようだ。先程までのうろたえようはどこへやら、これからの変身シーンを想像し、すっかり悦に浸っている。
 一方の莉来は、本日何回目か分からなくなってしまったが、眉間を押さえがっくりと肩を落としていた。
「…えーいもう、どうしたら変身できるの!!」
 どうやら吹っ切ったようだ。
「ではプカーが教える通りにやるでプ」

「……」
 せっかく吹っ切れたと思ったのだが。お決まりの眉間を押さえるポーズ。
「さっ、早く変身しましょ。へ・ん・し・ん♪」
 かたや凛は、すっかりテンションが上がっている。
「ねぇプカー、本っっっっっっ当にそれやらないと、だめ?」
「だめでプ」
 莉来の哀願じみた質問も、プカーにあっさりと棄却される。
「…うー」
 こんなに弱っている莉来も珍しいのではないだろうか。
「さっ、早く早く♪」
 こんなにハイテンションな凛も珍しいが。
「早くしないと、あれがどんどん大きくなってるでプよ」
 プカーが追い討ち。事実、植物はその勢力を着実に広げていた。
「そうです莉来さん、このままだと!」
 更に凛が追い討ち。
「莉来さんっ!」「莉来さまっ!」
 とどめ。
「うー、恥ずかしいからあんまり見ないでよ!」
「はいっ♪」
 莉来の言葉にそう答えた凛であるが、その薄紫の瞳はきらきらと輝いている。
「…えーと…」
 半ば諦めた莉来は、両の腕をゆっくりと前に持っていき交差させ、手のひらを外側に向け目を閉じる。
「あたしの中の魔法さん、生まれておいで出ておいで。ラリロリポップン…ロリポップン」
 まったくもって莉来には似合わないセリフとポーズである。莉来の顔も耳もトマトかイチゴかと見紛うばかりに真っ赤になってしまっている。
「ラリロリポップン…ロリポップン」
 赤面しながら、交差した両腕をそのまま上にかざす。
 と、莉来の体が先程のプカーと同じように光に包まれる。光の中にうっすらと見える莉来の体は一糸纏わぬ裸体であった。
「はぁ……」
 うっとりとその光景を見つめる凛。見たことはないが、もし神や天使が舞い降りたとするならばきっとこのような光景なのだろう。
 光が弱くなるにつれ、今までのメイド服とは大きく違ったコスチュームになっていた。
 眼鏡はそのままだが、頭にはピンク色の大きなリボン。リボンだけでなく、コスチューム全体がピンク色をベースにまとめられている。靴もピンク。体を覆っているのはレオタードというか水着というか、当然外で着るのには不向きそうな代物である。胸にはハート型のブローチがくっついており、腕には肘まである長く白い手袋、脚には白いニーソックス。
 いかにも「萌え萌え」な衣装ではある。これで笑顔で決め台詞の一つでも吐けば世の大きいお兄ちゃん達のハートはイチコロなのであろうが、当の莉来は浮かない顔でもじもじとしている。相変わらず耳まで真っ赤だ。
 訂正。「だがそれがいい」と仰る方もいらっしゃるに違いない。
 実際、凛は嬉々としながらハンディタイプのビデオカメラを回している。
「ちょ、ちょっと凛お姉ちゃん、いつの間に何撮ってるの!」
「はい? いえ、こんなこともあろうかとビデオとデジカメはきちんと用意してありますので、どうぞ思い切りやっちゃってください」
「プカー! 記録に残すのってまずいんじゃないの?」
 抗議する莉来に対し、
「そこはそれ、パワーバランスでプ」
 大雑把なプカー。さっきと言っていることが違うような。
 おかしい。絶対だまされてる。そう思いながらもツッコむ気力は失せてしまった莉来は、がっくりと肩を落とし、およそ魔法少女のヒロインとは思えない表情で巨大な悪に立ち向かうのであった。

「で?」
 思い切り不機嫌な莉来がプカーに尋ねる。
「どうやってやっつければいいわけ?」
「それは莉来さまの自由でプ。空も飛べるし武器だって使えるでプ。頭で考えればその通りになるでプ」
「えー、決めポーズとかいらないんですか?」
 プカーの返答に凛が肩を落とす。相変わらずビデオを回しているということは、莉来の決めポーズを撮りたかったに違いない。
「…あーんもう、ちゃっちゃと終わらせちゃうよ! 飛べっ!」
 莉来の掛け声とともに、莉来の背中に羽が現れる。飛ぶために羽をイメージしたためにこうなったようだ。凛は本当に天使が舞い降りてきたようだと思った。
 ばさりと羽ばたくと、莉来の体がふわりと浮いた。
「うわぁ…」
 莉来よりも見ている凛の方が嬉しそうだ。
「次は武器でプよー」
 プカーが空中の莉来に向かって呼びかける。
「えーっと、武器、武器…」
 莉来の頭にまっさきに現れたのは、先程のハンマーであった。しかし、植物に対してハンマーで叩き潰すという攻撃方法は余り効率的でないように思えた。もっと振り回して切り裂けるようなもの、例えば鎌とか、形状によっては剣や槍でも良さそうだ。あれがいいだろうか、それとも…
「莉来さん、危ない!!!」
 ふいに凛の声が聞こえた。はっと我に返ると、眼前に植物の蔓が迫っていた。
「う、わっ!」
 急制動をかけ、蔓の下側に潜り込んでかわす。かわした先にも蔓が待っており、体を傾けてなんとかそれもかわす。
「あ、あぶなかったぁ。あんなのに捕まったら、この作者のことだもん、なにされるか知れたものじゃないよ」
 でっかいお世話である。
「と、とにかくなんでもいいから武器、出ろっ!」
 慌てて武器を呼び出し、それを掴んでぶんと振り回す。襲ってきていた蔓が見事に切断され、ばらばらと落下していく。
 体勢を立て直すためにいったん距離を置き、自分の手にある武器を確認する。
「あ…れ? これって…?」
 どこかで見たことのあるような槍であった。赤黒く鈍い光を放っており、二本の槍が螺旋状に絡まって一本の槍を形作っている。二股に分かれた先端は鋭く尖り、月の光を反射させている。
「莉来さん…また凶悪なものを…」
 カメラのレンズ越しにその光景を目の当たりにした凛は驚きを隠せなかった。
「莉来さんって…ヲタクだったんですね」
「ち、違うもん! これはたまたま5.1ch版が出たとかで御主人様が買ってきてて、それで昨夜一緒に見てて…」
 いくら莉来が弁解したところで、それは紛うことなき『ロンギヌスの槍』であった。5.1ch版とか言っているあたり、しっかりと御主人様の教育が行き届いているのだろう。あの御主人様のもとで働けば影響を受けるなと言う方が無理な話なのだが、莉来は認めたくないらしい。それを分かってしまう凛もなかなかの逸材と言えよう。
「あーんもう、今日は厄日だよ…」
 今日はいろいろありすぎた。早く帰ってお風呂に入ろう。今日は凛お姉ちゃんもお泊りだから、一緒にお風呂に入ってもらおう。でも自分からは恥ずかしくて言えないから、凛お姉ちゃんから言ってくれるのを待つんだ。凛お姉ちゃんの肌はとても綺麗で、まるで透き通っているみたい。おっぱいも大きいし。あたしも将来あんなふうに綺麗になれるのかな?
 お風呂の後は一緒に寝てもらうんだ。ふかふかで柔らかいベッドと、ふかふかで柔らかい凛お姉ちゃん。凛お姉ちゃんにぎゅってされると、とっても落ち着く。まるでお母さんにだっこされてるみたいに。そのまま朝までぐっすり眠るんだ。少しくらい寝坊してもいいよね、凛お姉ちゃんもいるんだし、御主人様には大目に見てもらおう。
 そういえば最近、御主人様が凛お姉ちゃんに馴れ馴れしい。凛お姉ちゃんもまんざらじゃないみたいだし。凛お姉ちゃんがはっきり断らないから御主人様が調子に乗っちゃうんだよ。早く琉奈っちか碧っちとくっつけばいいのに。あ、でも琉奈っちにはれつ子お姉ちゃんがいるから、やっぱり碧っちかなぁ。御主人様もいざとなると弱腰だから、お尻を蹴っ飛ばしてやらないとだめかな。あぁめんどくさいなぁ。
 なんだかわかんないけど、すっごいムカムカしてきた。ムカムカムカムカムカムカムカムカ…
 ずばっ、ずばっ、ずばっ、ずばっ。
「莉来さん、すごい迫力ですね…」
「まるで鬼神か修羅のようでプ…」
 圧倒的な強さで敵をなぎ払う莉来。よもやその原動力が御主人様へのイライラだとは一人と一匹にはわかるはずもない。
「あーんもう、キリがないよ!」
 確かに、迫り来る枝や蔓を次々と切り落としているので優勢に見えてはいたが、植物の成長速度は一向に衰える気配がない。このままではジリ貧だろう。
「どこかにコアがあるはずでプ、それを叩くでプ!」
「そういうことは先に言いなさいよね!」
 プカーのアドバイスにツッコミを入れつつ、素早く視線を巡らせる。
 コアというからには、一番考えられる場所は…。
「あそこだ!」
 植物の中心、木でいうところの幹。現在ではほとんど原型を留めていないビルの隙間から、赤い球体が満月の光に照らされきらりと光っていた。
「そこっ!」
 莉来がコアに向かって槍を投擲する。
 きぃぃぃぃぃぃぃぃ…
 光の筋となった槍は、
 ざぐっ!
 見事コアに突き刺さった。
「やった!さすが莉来さん!」
 飛び跳ねて喜ぶ凛。しかしビデオカメラのファインダーは莉来から離れない。しかも手ぶれも起こっていない。すごい。
「いや、まだでプ!」
 どごごごごごごごごご…
 蔓が暴れまわり、更に周辺のビルに被害を及ぼす。ダメージは与えたものの、致命傷には至っていないようだ。中途半端な攻撃が逆に被害を増やす結果を生んでしまったようである。
「だめ…次の攻撃で仕留めないと…」
 止めを刺すのに最適な武器はないかといろいろと考えを巡らす莉来。
 …しかし、アレしか思いつかない。
「もう、御主人様があんなアニメを見せるからー!」
 右腕を高くかざす莉来。その手には黄金色に輝く巨大なピコピコハンマーが。
「ゴルディオンハンマー…莉来さんってやっぱり…」
「さっきのハンマーがあれじゃなくて助かったでプ…」
 その迫力に圧倒される一人と一匹。
「ひぃかぁりぃにぃ、なぁれぇぇえぇぇぇ!!!」
 もはやすっかり熱血キャラになってしまった莉来。意外にノリやすい性質なのかもしれない。コアに向かって真直ぐに突き進む。回り道などしない。ど真ん中を一直線に。
 襲い来る蔓や枝は、莉来とハンマーに触れる前に光の粒子となる。
「でぇぇい!!!!!」
 コアに突き刺さっているロンギヌスの槍を釘に見立て、ゴルディオンハンマーで思い切り打ち込む!
 がいぃぃぃぃぃぃぃぃぃん!!!!!
 コアが見事に真っ二つに割れた。
 と、その瞬間植物の蠢きがぴたりと止まり、植物全体が光に包まれる。全てが光の粒子となり、昇華してゆく。
「わぁ…」
 邪悪なものの最期とは思えないその光景に、凛は素直に感嘆の声を漏らす。
 そう、まるで莉来という名の天使が、心無き者によって破壊するためだけに生み出された悲しい悪魔を天国に導いているような。
「そういえば、天使と悪魔はもとは同じものなんでしたね」
「悪魔も、もとは無垢な天使だった、でプか」
 誰に対してでもなく口にした凛の言葉にプカーが答える。同じことを考えていたようだ。
「はぁ、疲れた…」
 もうげんなり、といった感じの莉来が凛たちのもとに舞い降りる。
「どうもお疲れ様でした。とってもかわいくてかっこよかったですよ」
 にこやかに凛が迎える。
「いや、まだ終わってないよ。これをもとに戻さないと。魔法でできるよね?」
 頑張りやさんだ、莉来ちゃん。しかし確かにこの惨状はなんとかしなければならないだろう。
「このくらいの規模ならなんとかなるはずでプ」
「よし、じゃあちゃっちゃと終わらせて…」
 莉来が崩れたビル街に向き直ったとき、
「あの、ちょっといいですか?」
 凛が手を挙げた。
「なぁに、凛お姉ちゃん?」
「あの…やっぱり最後くらい決めポーズを…だめですか?」
 ビデオカメラとデジカメを構え、お願いする凛であったが。
「絶〜〜〜〜……」
 ためにためて。
「……〜〜〜〜対にや!!」
 全力で拒否された。
「そんなぁ〜、莉来さぁ〜ん」
「あん、もう抱きつかないでぇ〜」
「いやいや、若いっていいでプねぇ」
 二人の少女がじゃれているさまを、微笑をたたえて見ているプカー。いつの間にかオヤジ化している。
 と、プカーが何者かからの視線を感じた。はっとして振り返る。
 しかし、視線を感じたその方向には誰の姿もなかった。
 ここでプカーはあることに気付いた。ビル街とはいえ、莉来と凛を除いて一人の人間もこの場所の周辺にはいなかったのだ。これはおかしい。単なる偶然か、それとも…。
 まぁ、怪我人が出なかったから、いいか。プカーは深く考えるのをやめた。
「プカーも仲間に入れるでプ〜」
「あっ、ちょっとこら、どこ触ってんの!」
「ふっふっふ〜、ここがいいんでプか〜?」
「ああっプカーさん、ずるいですぅ」
「…あんたも光にしてあげようか?」
「ひぃっ、そればっかりはご勘弁でプぅぅ」
「こら、待ちなさい!」
「ああん莉来さん、待ってください〜」
 ビルとビルの隙間から光が差してきていた。もうすぐ夜が明ける。今日は眠くてあんまり仕事にならないだろうけど、御主人様には大目に見てもらおう。
 今日はいい天気になりそうだ。洗濯当番、凛お姉ちゃんに手伝ってもらおうっと。

 ふわり。
 空気の流れを感じた。
「んん…」
 もぞもぞと琉奈が動き出す。枕元に置いてあったシルバーのメタルフレームの眼鏡をかけ、横ですやすやと寝息をたてている愛らしい少女の顔を覗き込む。
「ふふっ…かわいい。まるで天使みたい」
 れつ子の頬に軽く口づけをすると、起こさないように静かにベッドから降りる。朝食の支度は琉奈の仕事だった。
 寝間着からメイド服に着替えていると、カーテンの隙間から光が差し込んでいるのが分かった。
「今日もいい天気になりそうね」
 自然と笑顔になる琉奈であった。

 全てを見ていた月は沈んだ。日は昇り、また新たな一日が始まる。しかし月はまた昇る。
 この屋敷の全員が、大きなうねりの中に放り込まれようとしていることなど、まだ誰の知るところでもなかった。

...to be continued...



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