碧さんが隠し子をつれて来た。 それが、その奇妙な訪問者を迎えた時の二人の偽らざる感懐だった。 「なんですの、その目は」 碧がきっと睨みつける。言いたいことがあるならばはっきりと言え、とその目が雄弁に語っている。 「あー、えぇと、その」 えへへ、と笑う琉奈。それとは対照的に、碧の後ろから二人をおどおどと見つめる少年をびしっと指差す莉来。 「碧っち、いつ生んだの?」 直球だ。 「な・・・!」 絶句。 「なにを莫迦な・・・」と言いかけ、ふふん、と鼻先であしらうかのように笑う。 「わたくしとご主人様の愛の結晶ですわ」 どうだ、と言わんばかりに胸を突き出して踏ん反り返る。 「な・・・!」 今度は琉奈が絶句する。 「なんですとー!?」 頭から湯気を出しかねない程に真っ赤になって絶叫する琉奈を尻目に、莉来が穏やかに微笑む。 「じゃあ、碧っちもあたしと同じだね」 そう言ってお腹のあたりをそっとなでる。 「「なんですとーっ!?」」 絶叫×二。いや、三。見れば、少年も大きく口を開けて声も出せないままに固まっている。 「りりり、莉来ちゃん・・・」「莉来さん、貴女まさか・・・」 わなわなと震えながら詰め寄る二人。少し怖いかもしれない。 「本当なのっ!?」「ですかっ!?」 「うそ」 しれっと。 「え?」「はい?」 思わず惚けた声をもらす二人。 「だから、嘘。常識で考えれば判ると思うけど」 悪びれもせず、平然と答える莉来。言われてみればその通りではあるのだが、毒気を抜かれた体の二人は惚けたように立ち尽くすばかりだった。それを尻目に莉来は少年の方に向き直り、 「名前は?」 やはり、直球。余計な前置きなど一切無用。 「ぼ、ぼく?」 少年のこめかみに冷や汗がひとすじ、ふたすじ。 「ぼくは・・・えぇと、そのぉ・・・」 「判らないの?」 「ご、ごめん。そうみたいだ・・・です」 ぺこん、と頭を下げる。傍目には莉来の圧力に押されたようにも見えるが、無論莉来にそんなつもりは毛頭ない。 「あやまらなくてもいいけど・・・ねぇ、碧っち。この子どこでナンパしてきたの?」 「人聞きの悪いことを言わないでくださいませんか」 憤然と抗議するが、暖簾に腕押し、糠に釘。豆腐の角に頭を打ったところで人間そうそうダメージをうけるものでもない。まぁ、つまりはそんなところ。 「碧さん、どこで誘惑したのか知りませんけど、犯罪はいけま───」 すぱーん! みなまで言わせず、ハリセンが琉奈を直撃する。 「み、みろりひゃん、ろこからだひひゃんれふか!」 鼻を押さえ、涙声で抗議するが、碧は無言で却下する。 「なにやら途方に暮れているようでしたので保護しただけですわ」 つん、と胸を反らし、眼鏡のずれを直す。既にハリセンなど影も形もない。 「はれ、よふみはらごひゅひんはまにほっふりれふね」 「琉奈っち、なに言ってるのか判んない。・・・でも、確かにご主人様に似てるかも」 しっかり判っている。 「まさか碧さん、ご主人様にそっくりなこの子を篭絡して紫の上にしようだ───」 すぱーん! 「らから、ろこからだひひゃんれふかっ!」 「誰が光源氏ですかっ。ロリコン呼ばわりされるのは心外ですわ」 そう言いながらも少年を二人から守るようにさりげなく移動する。 「光源氏っていうより六条御息所だよね・・・」 やれやれ、と肩を竦める莉来。 「それで、この子どうするの? どうも記憶喪失みたいだし、病院につれて行った方がいいんじゃないかな」 「そうですわね。でも今日のところは泊まっていただきましょう。今から病院に行ったのでは帰りが何時になるか判りませんでしょう? 琉奈さんはどうお考えかしら?」 莫迦なことを言ったらはり倒しますわよ、と目で釘をさす。 「あ、碧さんに賛成です」 諸手を上げて同意する。降服しただけかもしれないが。 「じゃあ行きましょうか、ご主人様」 「ご、ご主人様っ!?」 琉奈の言葉に少年がびくりと体を強張らせる。 「あ、なんか雰囲気が似ていたからつい・・・。でも、今夜もご主人様は遅くなると言われていましたし、今夜だけご主人様の代わりになっていただくのはどうでしょう?」 ぱん、とにこやかに手を叩く琉奈。 「ワンナイトご主人様?」 ぽつりと。 「莉来さん・・・」「それはちょっと・・・」 碧と琉奈が力なくつっこむ。 「じゃあ、ご主人様代行殿」 「それもちょっと・・・ねぇ?」「・・・ですわよ」 思わず顔を見合わせる二人。 「それはともかく、どこに行かれるつもりでしたの?」 「え? えと、そのぉ、そろそろいいお湯加減になったころかなぁって、あははー」 少年の手に延ばし掛けた手を戻し、頭を掻く。───と見せかけていきなり手を掴み、ダッシュする。 「あっ、お待ちなさい、琉奈さん!」 ワンテンポ遅れて碧も走り出す。 「奪取してダッシュ・・・」ぽそり。「・・・ご飯作って客室の用意しよ」 我関せずとばかりに立ち去ろうとする莉来の足に、こつんと何か当る物があった。 「?」 見れば、小さな硝子壜が落ちている。中には赤や青の丸いものが入っていた。 「・・・キャンディー?」 拾い上げてよく見れば、なるほどキャンディーのようである。 「あの子が落としたのかな」振り返りかけ、思い直す。「あとで返せばいいよね」 硝子壜をポケットにしまい、歩き出す。 そのころ、浴場。 「はい、頭を洗いますよー。かゆいところはありますか?」 「お背中を流しますわ」 「前を洗いますねー。…きゃっ、かわいいっ」 「琉奈さん、ちょっとずるいですわよ!」 「うわぁぁぁん」 なにやってんだか。 「…なんですの、これ」 テーブルにずらりと並んだものを見て、碧は自分の目を疑った。もしかして度が進んだのだろうか。だが、琉奈や少年まで目を丸くしているところを見ると、自分の目だけが悪くなったわけではないらしい。 「なんですの、これ」 もう一度訊いてしまう。それほど、信じられなかった。 「コロッケ」 そう答える莉来の声だけを聞くと、なにもおかしなことはないのだと錯覚してしまいそうになる。むしろ、それがなにか? との問いかけさえ聞こえそうだ。 確かに、コロッケだった。コロッケのフルコースというものがあるのなら、それはまさしくそのものに違いなかっただろう。 「わたくしが訊いているのはなぜこんなにもコロッケだらけなのか、ということですわ」 少し苛立ちのこもる碧の声に、莉来の視線が急激に冷えたものになる。 「碧っち、今日の買い出し当番は誰だった?」 「わ、わたくしでしたわね」 「そう言えば碧さん、なにも買って来ていないですね」 琉奈の視線も、少し温度が下がる。 「ぼ、ぼくのせい…かな?」 「違う。碧っちのせい」 ばっさり、と切り捨てる。ムラマサブレード並みの切れ味だ。 「そ、それはそうですけど、でもどうしてこんなにコロッケが…」 「コロッケ魔人用に買い溜めしておいたけど、早く食べないと悪くなるから。他の食材もあまりなかったし」 コロッケ魔人の大きなガタイと爽やかな笑顔が全員の脳裏によぎり、誰ともなく溜息をつくのだった。 その夜の食事の後、全員がしばらくコロッケは見たくないと、本気でそう思ったのだった。 「…はぁ」 ベッドに横たわり、溜息をつく。今日はあわただしい一日だった。添い寝をしようという琉奈と碧をなんとか追い払い、ようやく人心地ついたところだった。 「まさか本当にこんな効果があるなんて思わなかったよ」 偶然、手に入れたものだった。子供の頃、歌には聞いていたが、まさか本物とは思わなかった。 ただ、話のネタにはなるだろうかという軽い気持ちだったのだが…。 「バレたらまずいよね、やっぱり」 のっそりと起き上がり、ポケットを探る。しかし、そこにある筈の物がみつからない。 「あれ?」 ごそごそ。やはり、ない。 「あれ、どこにいったんだろう?」 ベッドの下や上着のポケットも探してみる。 「…どこ、いったんだ?」 「なにを探しているの?」 いきなり、声をかけられた。驚きのあまり、声も出せずに固まってしまう。 きりきりきり、とゼンマイ仕掛けの人形のようにゆっくりと振り返る。そこには年のころ十七、八くらいだろうか。ややタレ目ながら鋭さを感じさせる栗色の髪の少女が立っていた。見覚えはない筈なのだが、どこかで会ったような気がする。これほどの美少女ならば覚えていない筈はないのだが…。いや、それ以前にこの屋敷には先ほどの三人以外はいない筈だ。たまに二人ほど増えていることもあるが、それとても違う。 「い、いや、なんでもないんだ…けど」 「探し物は、これ?」 少女が差し出した手の平の上には小さな硝子壜が乗っていた。その中には赤や青のキャンディーが入っている。 「そ、それは…!」 慌てて硝子壜を受け取ろうとする少年の前で、少女はさっと手を引っ込める。 「なにを…」 「やっぱり、ご主人様だったんだね」 ぎくり。少年の身体が強張る。 「…莉来、なのか?」 少女は無言で頷く。 「いや、別に騙そうとかなんとか考えていたわけじゃないんだ。たまたま、こうなっちゃっただけで、不可抗力って言うんだっけ? そんな感じなんだけど、あぁ、なんて言ったらいいのかな」 しどろもどろになって、なにがなんだか判らない。莉来はわやになっている少年の手を取ると、 無表情のままこくりと頷く。 「大丈夫、判ってるから」 「そうか、判ってくれたのか。いやぁ、良かった」 言っている本人でさえよく判らないというのに。 「でも、ほかの二人はどうだろうね…?」 「…え?」 無言で部屋の扉を開ける莉来。と、同時に 「ごちゅじんちゃま、ひどいでちゅー!」「だまちたのでちゅねー!」 幼女化した─── おそらくは───琉奈と碧が飛びこんで来る。 「うわわわわっ!? ま、まさか莉来!?」 これまた無言でこくりと頷く。 「論より証拠、と言うでしょ」 にっこり。 まさに花の開くような笑みであったが、少年の目には悪魔の笑みに見えた。 「ごちゅじんちゃまの、ばかーっ」 すぱーんっ! ちび碧がどこからか取り出した特大のハリセンが顔面を猛打する。スタン・ハンセンのラリアット並みの威力に、少年の身体が壁まで吹き飛ばされる。 「あいあんめいでーんっ!」 ちび琉奈のスタンドが見えない拳でオラオラと翻子拳ばりの連打、連打、連打。 「な、なぜ…」 薄れゆく意識の中でつぶやく。これは夢。そう、きっと出来の悪い夢…。 ちちち、ちゅんちゅん…。 「うぁ〜」 妙な声を上げてベッドから身体を起こす。 「妙な夢を見たなぁ」 くきくき、と首を二三度振り、大きく伸びをする。いつも通りの朝だ。 「あぁ、よかった」 心底、そう思う。その時、視界にきらりと光るなにかが入った。 「なんだ?」 それは、小さな硝子壜に朝日が反射したものだったらしい。 「…なんだ、これは?」 硝子壜の中には赤や青の丸いものが… これは夢。そう、きっと出来の悪い─── Fin |
|